日本の芸能史に燦然と輝く名優、萬屋錦之介。その名は、数々の時代劇映画やテレビドラマで主役を張り、多くの人々の心に深く刻まれています。歌舞伎界の御曹司として生まれ、映画界へ転身して一世を風靡し、晩年まで第一線で活躍し続けました。本記事では、萬屋錦之介が残した数多の作品の中から、特に「代表作」と称される不朽の名作群を徹底的に解説します。彼の魅力的な演技と、時代を超えて愛され続ける作品の数々を深掘りしていきましょう。
萬屋錦之介とは?歌舞伎から映画・テレビへ駆け上がった生涯

萬屋錦之介は、1932年(昭和7年)に歌舞伎役者の三代目中村時蔵の四男として東京に生まれました。本名を小川錦一といい、幼少期から歌舞伎の舞台に立ち、その才能を開花させます。しかし、歌舞伎界の慣習や自身の情熱から、新たな表現の場を求め、映画界へと転身する決断を下しました。この転身は当時の芸能界に大きな波紋を呼びましたが、結果として彼のキャリアを大きく飛躍させるきっかけとなります。
中村錦之助としての歌舞伎時代
萬屋錦之介は、満4歳で歌舞伎座の舞台を踏み、初代中村錦之助を名乗りました。歌舞伎役者として女形も立役も務め、その端正な容姿と確かな演技力で将来を嘱望されていました。しかし、歌舞伎一家の四男という立場から、主役級の役が回ってくる機会は限られていたと言われています。この頃の経験が、後の彼の演技の深みや多様性に繋がっていったことは間違いありません。歌舞伎で培われた身体能力や発声は、映画やテレビでの時代劇において、その真価を発揮することになります。
映画界への転身と「錦ちゃんブーム」
1954年、中村錦之助は映画『ひよどり草紙』で映画デビューを果たし、その後東映と契約を結びます。立て続けに出演した『笛吹童子』や『紅孔雀』が大ヒットを記録し、一躍スターダムにのし上がりました。甘いマスクと颯爽とした立ち姿は、当時の子供たちを中心に「錦ちゃんブーム」を巻き起こし、日本映画界の全盛期を支える存在となります。大川橋蔵や市川雷蔵らと共に「二スケ二ゾウ」と称され、東映時代劇の看板スターとして、その地位を不動のものとしました。この時期の作品は、彼の人気を決定づける重要な役割を果たしています。
萬屋錦之介への改名と新たな挑戦
1971年、中村錦之助は歌舞伎座での公演を機に、屋号を播磨屋から「萬屋」に改めました。そして翌1972年、40歳を迎えるにあたり、自身の芸名も中村錦之助から「萬屋錦之介」へと改名します。この改名は、父・三代目中村時蔵の母方の屋号に由来しており、一門の総帥としての自覚と新たな決意を示すものでした。 改名後も、彼は映画、テレビ、舞台と幅広い分野で活躍を続け、特にテレビ時代劇では新たな当たり役を次々と生み出しました。この時期は、彼が単なるアイドルスターから、演技派俳優へと進化を遂げた時期でもあります。
映画史に輝く萬屋錦之介の代表作【時代劇編】

萬屋錦之介は、生涯で数多くの映画に出演し、特に時代劇映画においてその真骨頂を発揮しました。彼の出演作は、単なる娯楽作品に留まらず、深い人間ドラマや社会問題を提起する骨太な作品も多く、日本映画史に大きな足跡を残しています。ここでは、彼の代表的な時代劇映画をいくつかご紹介します。
『宮本武蔵』シリーズ:ライフワークとなった剣豪役
内田吐夢監督による『宮本武蔵』シリーズ(1961年~)は、萬屋錦之介の代表作として語り継がれる傑作です。彼はこのシリーズで、天下無双の剣豪・宮本武蔵を演じ、若き日の粗野な武蔵から、求道者としての武蔵へと成長していく姿を圧倒的な存在感で表現しました。 この役は彼のライフワークとなり、武蔵の人間的な葛藤や成長を見事に演じ切り、多くの観客を魅了しました。共演には三國連太郎(沢庵和尚役)や高倉健(佐々木小次郎役)など、豪華な顔ぶれが揃い、作品の深みを一層増しています。
『一心太助』シリーズ:庶民派ヒーローの魅力
沢島忠監督の『一心太助』シリーズは、萬屋錦之介が演じた庶民派ヒーローの代表作です。魚屋の一心太助が、江戸の悪を斬るという痛快な物語で、彼の明るく気さくな人柄と、正義感溢れるキャラクターが多くの人々に愛されました。 このシリーズは、彼の持つ親しみやすさと、時代劇スターとしての華やかさを存分に発揮した作品と言えるでしょう。コミカルな演技と、いざという時の凛々しさのギャップが、太助の魅力を際立たせています。
『武士道残酷物語』:演技派としての新境地
1963年の映画『武士道残酷物語』は、萬屋錦之介がブルーリボン賞主演男優賞を受賞した作品であり、彼の演技派としての評価を確立した重要な一本です。 この作品では、時代を超えて受け継がれる武士道の残酷な側面を、一人の男の七代にわたる運命を通して描いています。彼は七代の異なる人物を演じ分け、その卓越した表現力で観客に深い感動を与えました。この作品は、彼が単なる二枚目俳優ではないことを証明し、その後のキャリアに大きな影響を与えました。
『柳生一族の陰謀』:晩年の大ヒット作
1978年に公開された深作欣二監督の『柳生一族の陰謀』は、萬屋錦之介が柳生但馬守宗矩を演じ、時代劇映画復興の旗手となった大ヒット作です。 この作品では、徳川家光の治世を巡る権力闘争が描かれ、彼の重厚な演技が光りました。貫禄と風格に満ちた宗矩役は、まさに彼のためにあるかのような当たり役となり、多くの観客を劇場に呼び戻しました。この作品は、彼の晩年のキャリアを代表する一本として、今もなお高く評価されています。
その他の時代劇映画の傑作
萬屋錦之介は、他にも数多くの時代劇映画で印象的な演技を見せています。加藤泰監督の『瞼の母』では番場の忠太郎を演じ、その哀愁漂う演技が観客の涙を誘いました。 また、『関の弥太っぺ』では関の弥太郎を演じ、その侠気溢れる姿が多くのファンを魅了しています。 『丹下左膳 飛燕居合斬り』では隻眼隻腕の剣士・丹下左膳を演じ、その独特の存在感を発揮しました。これらの作品は、彼の幅広い演技力と、時代劇俳優としての多様な魅力を示しています。
お茶の間を魅了した萬屋錦之介の代表作【テレビドラマ編】

映画界で確固たる地位を築いた萬屋錦之介は、テレビ時代劇の世界でもその才能を遺憾なく発揮しました。お茶の間で彼の姿を見ない日はないと言われるほど、多くの人気ドラマに主演し、テレビ時代劇の黄金期を牽引する存在となりました。ここでは、彼の代表的なテレビドラマ作品をご紹介します。
『子連れ狼』:伝説の拝一刀
1973年から放送された『子連れ狼』は、萬屋錦之介のテレビドラマにおける最大の代表作と言えるでしょう。彼は、柳生一族に妻を殺され、幼い息子・大五郎と共に冥府魔道に堕ちた元公儀介錯人・拝一刀を演じました。その寡黙ながらも凄みのある演技と、迫力ある殺陣は、多くの視聴者を釘付けにしました。 大五郎との親子の絆を描いた物語は、日本だけでなく海外でも高い評価を受け、日本の武士道精神を伝える教材としても人気を博しました。 「しとしとぴっちゃん」の主題歌と共に、今もなお語り継がれる伝説的な作品です。
「破れシリーズ」:型破りな奉行が人気を博す
萬屋錦之介は、テレビ朝日系列で放送された「破れシリーズ」でも絶大な人気を誇りました。『破れ傘刀舟悪人狩り』、『破れ奉行』、『破れ新九郎』の三部作は、いずれも型破りな主人公が悪を成敗する痛快な時代劇として、お茶の間を賑わせました。 特に『破れ奉行』では、深川奉行・速水右近を演じ、その豪快なキャラクターと、時にユーモラスな一面を見せる演技が視聴者の心を掴みました。 これらの作品は、彼の持つスター性と、時代劇俳優としての魅力を存分に発揮したシリーズです。
大河ドラマでの存在感:『春の坂道』『花の乱』
萬屋錦之介は、NHK大河ドラマでもその存在感を示しました。1971年の『春の坂道』では、剣術家・柳生但馬守宗矩を演じ、その知性と武勇を兼ね備えた人物像を見事に表現しました。 また、晩年の1994年には『花の乱』にレギュラー出演し、山名宗全役を好演。病と闘いながらも、圧倒的な存在感で視聴者を魅了しました。 大河ドラマという大舞台でも、彼の演技は常に高い評価を受け、そのキャリアに深みを加えています。
『赤穂浪士』:舞台・映画・テレビで演じた大石内蔵助
萬屋錦之介は、忠臣蔵の物語において、大石内蔵助という重要な役柄を舞台、映画、そしてテレビの全てで演じました。特に1979年のテレビ朝日開局20周年記念番組『赤穂浪士』では主演を務め、忠義に厚く、しかし人間的な苦悩を抱える内蔵助を熱演しました。 彼の演じる内蔵助は、単なる英雄像に留まらず、その人間的な魅力と葛藤が深く描かれ、多くの人々の心に残る名演となりました。一つの役を異なるメディアで演じ分けることで、彼の役者としての幅広さを示しています。
萬屋錦之介の演技の魅力と後世への影響

萬屋錦之介が日本の芸能界に残した功績は計り知れません。彼の演技は、単に役を演じるだけでなく、その人物の魂を宿しているかのような圧倒的な迫力と深みがありました。ここでは、彼の演技の魅力と、後世に与えた影響について考察します。
圧倒的な存在感と殺陣の美学
萬屋錦之介の最大の魅力の一つは、その画面や舞台を圧倒する存在感です。彼の登場するシーンは、常に観客の視線を引きつけ、物語に引き込む力がありました。特に時代劇における殺陣は、歌舞伎で培われた身体能力と、独自の美学が融合したもので、単なるアクションではなく、舞踊のような美しさと、真剣勝負の緊迫感を兼ね備えていました。彼の殺陣は、多くの後進の俳優たちに影響を与え、日本の時代劇における殺陣のスタイルを確立する上で重要な役割を果たしました。
多彩な役柄を演じ分けた表現力
彼は、剣豪から庶民、悪役まで、非常に幅広い役柄を演じ分けました。若き日の美少年剣士から、晩年の重厚な役柄まで、それぞれのキャラクターに命を吹き込み、観客を魅了しました。特に、善悪の二面性を持つ役や、内面に深い葛藤を抱える役を演じる際には、その繊細かつ力強い表現力が光りました。彼の演技は、役柄の表面的な部分だけでなく、その背景にある人間性や感情を深く掘り下げ、観客に共感と感動を与えました。
日本の時代劇に残した偉大な功績
萬屋錦之介は、戦後の日本映画、特に時代劇の黄金時代を築き上げた立役者の一人です。彼の活躍がなければ、日本の時代劇はこれほどまでに発展しなかったかもしれません。彼は、時代劇というジャンルを単なる娯楽に留めず、芸術性やメッセージ性を持った作品へと昇華させました。彼の残した数々の代表作は、今もなお多くの人々に愛され、日本の文化遺産として大切にされています。後世の俳優やクリエイターたちにも多大な影響を与え、日本の時代劇の未来を切り開いた偉大な俳優と言えるでしょう。
よくある質問

萬屋錦之介の晩年はどのような状況でしたか?
萬屋錦之介の晩年は、病気や家庭のトラブルに見舞われるなど、決して平穏ではありませんでした。1982年には個人事務所「中村プロダクション」が倒産し、多額の負債を抱えます。その後、重症筋無力症と診断され、大手術を受けました。 しかし、彼は驚異的な回復力を見せ、テレビドラマ『子連れ狼』で復帰を果たすなど、病と闘いながらも俳優としての活動を続けました。 1990年には女優の甲にしきと再々婚しますが、直後に三男を事故で亡くすという悲劇に見舞われます。 1996年には咽頭がんを発症し、翌1997年3月10日に肺炎のため64歳で他界しました。 晩年は苦難の連続でしたが、最後まで俳優としての情熱を失わず、その壮絶な生き様は多くの人々に感動を与えました。
萬屋錦之介はなぜ中村錦之助から改名したのですか?
萬屋錦之介は、1972年11月に中村錦之助から萬屋錦之介へと改名しました。この改名の背景には、歌舞伎の屋号の変更があります。1971年10月、彼の父である三代目中村時蔵の十三回忌追善興行で、小川家一門が屋号をそれまでの播磨屋から「萬屋」に改めることを宣言しました。 この「萬屋」という屋号は、彼の祖母の実家が市村座で芝居茶屋を営んでいたことに由来しています。 一門の総帥としての自覚と、新たなスタートを切る意味を込めて、自身の芸名も「萬屋錦之介」へと変更したのです。 姓名判断によって「錦之助」を「錦之介」に変えたとも言われています。 この改名は、彼が歌舞伎界の伝統を重んじつつも、自身の道を切り開こうとする強い意志の表れでした。
萬屋錦之介の愛称は何でしたか?
萬屋錦之介は、多くの人々から親しみを込めて「錦ちゃん(きんちゃん)」と呼ばれていました。 特に映画界に転身し、『笛吹童子』などのヒット作で一躍スターとなった際には、全国的に「錦ちゃんブーム」が巻き起こるほどの人気を博しました。 その明るく気さくで豪快な性格から、俳優仲間やスタッフからも「錦兄ィ(きんにい)」と慕われ、多くの人々に愛される存在でした。 この愛称は、彼の親しみやすい人柄と、スターとしての輝きを象徴するものでした。
萬屋錦之介の弟は誰ですか?
萬屋錦之介の弟は、俳優の中村嘉葎雄(なかむら かつお)さんです。 萬屋錦之介と同じく、歌舞伎役者の三代目中村時蔵の息子であり、兄弟で芸能界で活躍しました。中村嘉葎雄さんも、時代劇を中心に多くの映画やテレビドラマに出演し、個性的な演技で存在感を示しています。兄弟揃って日本の芸能界に大きな足跡を残した、稀有な存在と言えるでしょう。
萬屋錦之介は歌舞伎の舞台にも立っていましたか?
はい、萬屋錦之介は歌舞伎役者としてキャリアをスタートさせ、晩年にも歌舞伎の舞台に立っています。彼は満4歳で初舞台を踏み、中村錦之助として歌舞伎界で修業を積みました。 映画界に転身した後も、1956年には小川家による地方巡業で舞台に復帰し、以降、毎年6月には歌舞伎座で定期興行を行っていました。 これらの興行では、歌舞伎座でありながら、新作時代劇や明治以降に作られた「新歌舞伎」を演じることがほとんどでした。 そして、1994年6月には、四代目中村時蔵三十三回忌追善公演で、19年ぶりに本格的な歌舞伎に挑戦し、話題となりました。 彼は生涯を通じて歌舞伎への深い愛情を持ち続け、そのルーツを大切にしていました。
まとめ

- 萬屋錦之介は歌舞伎役者として生まれ、映画界へ転身し大スターに。
 - 中村錦之助時代に『笛吹童子』などで「錦ちゃんブーム」を巻き起こした。
 - 1972年に「萬屋錦之介」へ改名し、新たなキャリアを築いた。
 - 映画代表作には『宮本武蔵』シリーズや『一心太助』シリーズがある。
 - 『武士道残酷物語』で演技派としての評価を確立し、主演男優賞を受賞。
 - 晩年の映画では『柳生一族の陰謀』が大ヒットし、時代劇復興の旗手となった。
 - テレビドラマ代表作は『子連れ狼』で、伝説の拝一刀を演じた。
 - 『破れ傘刀舟悪人狩り』などの「破れシリーズ」も人気を博した。
 - NHK大河ドラマ『春の坂道』や『花の乱』でも存在感を示した。
 - 『赤穂浪士』では舞台・映画・テレビで大石内蔵助を演じ分けた。
 - 彼の演技は圧倒的な存在感と殺陣の美学が特徴。
 - 多彩な役柄を演じ分ける卓越した表現力を持っていた。
 - 日本の時代劇の黄金期を築き、後世に多大な影響を与えた。
 - 晩年は病気や家庭の苦難に見舞われたが、俳優としての情熱は失わなかった。
 - 弟は俳優の中村嘉葎雄であり、兄弟で芸能界を盛り上げた。
 
