1985年、アフリカの飢餓と貧困を救うため、世界のトップアーティストたちが一堂に会し、歴史的なチャリティソング「ウィー・アー・ザ・ワールド」が誕生しました。この曲は、音楽の力を通じて世界に希望を届け、その感動は今も色褪せることはありません。
本記事では、この伝説的な楽曲に命を吹き込んだウィーアーザワールドの歌手たちに焦点を当て、参加アーティストの全貌から、レコーディングの舞台裏で繰り広げられた感動的なエピソード、そしてこの曲が世界にもたらした計り知れない影響までを徹底解説します。音楽史に輝く奇跡の一夜を、ぜひ一緒に振り返ってみましょう。
ウィーアーザワールドとは?歴史的チャリティソングの概要

「ウィー・アー・ザ・ワールド」(We Are The World)は、1985年にアメリカの著名なアーティストたちが集結して結成されたプロジェクト「USA for Africa」によって制作されたチャリティソングです。この楽曲は、アフリカの飢餓と貧困を解消するという崇高な目的のために生まれました。
イギリスのミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱した「バンド・エイド」の成功に触発されたハリー・ベラフォンテの構想がきっかけとなり、大物アーティストのマネージャーであるケン・クレイガンが裏方として協力し、プロジェクトが具体化しました。
アフリカ飢餓救済という崇高な目的
1980年代半ば、エチオピアをはじめとするアフリカ東部では、干ばつと内戦により深刻な飢饉が発生し、約100万人もの人々が餓死するという悲劇が起きていました。この悲惨な状況に対し、音楽を通じて世界中の人々に支援を呼びかけ、具体的な行動を促すことが「ウィー・アー・ザ・ワールド」の最大の目的でした。
この曲は、単なる楽曲としてだけでなく、人類規模での団結と博愛を訴えるメッセージとして、世界中の人々の心に深く響き渡りました。集められた収益は、飢餓に苦しむ人々への食料支援や医療援助、そして長期的な開発支援に充てられ、多くの命を救うことに貢献したのです。
マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーによる楽曲制作
「ウィー・アー・ザ・ワールド」の作詞・作曲は、当時の音楽界を代表する二人の天才、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共作で行いました。
二人は数日間にわたり、マイケル・ジャクソンの自宅スタジオにこもり、アフリカの現状と世界の人々へのメッセージを込めた歌詞とメロディを練り上げました。特に、ライオネル・リッチーが「We are the world, we are the children」という象徴的なフレーズを考案し、マイケル・ジャクソンが残りの歌詞の大部分を書き上げたとされています。
彼らの創造性と情熱が結集し、国境や人種を超えて人々の心を一つにする、普遍的なチャリティソングが誕生したのです。
USA for Africaプロジェクトの誕生
楽曲が完成した後、この壮大なプロジェクトをプロデュースしたのは、音楽界の巨匠クインシー・ジョーンズでした。
彼は、アメリカン・ミュージック・アワードの授賞式直後という、多くのトップアーティストがロサンゼルスに集まっている絶好の機会を捉え、レコーディングを敢行することを決定しました。
プロジェクトは「United Support of Artists for Africa」の頭文字と「アメリカ合衆国」の略称を組み合わせた「USA for Africa」と名付けられ、総勢45人ものスーパースターたちが、無償でこの歴史的なレコーディングに参加しました。
伝説のレコーディングに参加したウィーアーザワールド歌手たち

1985年1月28日の夜、ハリウッドのA&Mスタジオには、アメリカのみならず世界のポップス界を代表する45人のアーティストが集結しました。彼らは、アフリカの飢餓を救うという共通の目的のもと、それぞれの「エゴ」を入り口に置いて、一つの歌を歌い上げました。
この奇跡のレコーディングに参加したウィーアーザワールドの歌手たちは、まさに音楽史に名を刻むレジェンドばかりです。彼らの歌声が重なり合うことで生まれたハーモニーは、世界中の人々に感動と希望を与えました。
リードボーカルを務めた主要アーティスト一覧
「ウィー・アー・ザ・ワールド」では、多くのアーティストがソロパートを担当し、それぞれの個性的な歌声で楽曲に深みを与えています。特に印象的なリードボーカルを務めた主要アーティストは以下の通りです。
- ライオネル・リッチー
- スティーヴィー・ワンダー
- ポール・サイモン
- ケニー・ロジャース
- ジェームス・イングラム
- ティナ・ターナー
- ビリー・ジョエル
- マイケル・ジャクソン
- ダイアナ・ロス
- ディオンヌ・ワーウィック
- ウィリー・ネルソン
- アル・ジャロウ
- ブルース・スプリングスティーン
- ケニー・ロギンス
- スティーヴ・ペリー
- ダリル・ホール
- ヒューイ・ルイス
- シンディ・ローパー
- キム・カーンズ
- ボブ・ディラン
- レイ・チャールズ
これらのアーティストたちは、それぞれのキャリアで数々のヒット曲を生み出し、音楽界に多大な影響を与えてきました。彼らが一堂に会し、一つのメッセージを歌い上げたことは、まさに歴史的な出来事と言えるでしょう。
コーラス参加アーティストの豪華な顔ぶれ
リードボーカルだけでなく、コーラスにも多くの著名なアーティストが参加し、楽曲の壮大さを一層引き立てました。彼らの歌声が一体となることで、「ウィー・アー・ザ・ワールド」はより力強く、感動的な楽曲へと昇華されたのです。
- ダン・エイクロイド
- ハリー・ベラフォンテ
- リンジー・バッキンガム
- マリオ・シポリーナ
- ジョニー・コラ
- シーラ・E.
- ボブ・ゲルドフ
- ジェフリー・オズボーン
- ラトーヤ・ジャクソン
- マーロン・ジャクソン
- ランディ・ジャクソン
- ティト・ジャクソン
- ウェイロン・ジェニングス
- ジャッキー・ジャクソン
- クインシー・ジョーンズ(プロデューサー兼指揮)
- ベティ・ミドラー
- ジョン・オウツ
- アニタ・ポインター
- ジューン・ポインター
- ルース・ポインター
- スモーキー・ロビンソン
このように、リードボーカルとコーラスを合わせると、当時の音楽シーンを代表する錚々たる顔ぶれが「USA for Africa」として集結したことがわかります。
歌唱順にみるアーティストたちの共演
「ウィー・アー・ザ・ワールド」の魅力の一つは、各アーティストがソロパートを歌い継ぐ歌唱順にもあります。曲の構成とアーティストの個性を最大限に引き出すように工夫された歌唱順は、聴く人にドラマチックな感動を与えます。
以下に、ロングバージョンにおけるリード・ボーカルの歌唱順の一部を紹介します。
- ライオネル・リッチー
- スティーヴィー・ワンダー
- ポール・サイモン
- ケニー・ロジャース
- ジェームス・イングラム
- ティナ・ターナー
- ビリー・ジョエル
- マイケル・ジャクソン
- ダイアナ・ロス
- ディオンヌ・ワーウィック
- ウィリー・ネルソン
- アル・ジャロウ
- ブルース・スプリングスティーン
- ケニー・ロギンス
- スティーヴ・ペリー
- ダリル・ホール
- ヒューイ・ルイス
- シンディ・ローパー
- キム・カーンズ
- ボブ・ディラン
- レイ・チャールズ
この歌唱順は、それぞれのアーティストの歌声の特性や表現力を考慮して決定され、楽曲全体に流れるような一体感を生み出しています。
ウィーアーザワールド制作秘話と感動のエピソード

「ウィー・アー・ザ・ワールド」のレコーディングは、単なる楽曲制作の場ではありませんでした。そこには、世界中の期待と、集まったスーパースターたちの様々な思いが交錯する、感動と緊張に満ちた一夜がありました。この歴史的なセッションの裏側には、今も語り継がれる数々のエピソードが存在します。
レコーディングは、アメリカン・ミュージック・アワードの授賞式直後に行われました。多くのアーティストがタキシード姿でスタジオに駆けつけ、疲労困憊の状態でありながらも、アフリカの飢餓を救うという共通の使命感に燃えていました。
クインシー・ジョーンズが統率した奇跡の一夜
プロデューサーのクインシー・ジョーンズは、これほど多くの大物アーティストをまとめ上げるという、前代未聞の重責を担っていました。彼は、レコーディング開始前に「エゴは入口に置いていってくれ」という有名な言葉を参加者全員に伝え、アーティストたちが一丸となることの重要性を説きました。
彼のリーダーシップと卓越したプロデュース能力がなければ、この奇跡的なレコーディングは実現しなかったでしょう。クインシー・ジョーンズは、それぞれのアーティストの個性を尊重しつつも、楽曲全体の調和を保ち、最高のパフォーマンスを引き出すことに成功しました。
エゴを捨てて一つになったアーティストたち
通常、これほどの大物アーティストたちが一堂に会すれば、それぞれの主張やエゴがぶつかり合うことも少なくありません。しかし、「ウィー・アー・ザ・ワールド」のレコーディングでは、参加者全員がアフリカの飢餓救済という目的のために、自身のプライドを一時的に脇に置きました。
スタジオ内では、スティーヴィー・ワンダーがアフリカの言語で歌うことを提案したり、ボブ・ディランが自分のパートを歌うことに苦戦し、他のアーティストが助言したりするなど、心温まる交流が数多く見られました。
この一夜は、音楽の力が人々の心を一つにし、大きな目標に向かって協力することの素晴らしさを世界に示したのです。
参加を辞退した大物アーティストの背景
「ウィー・アー・ザ・ワールド」のレコーディングには、多くのアーティストが参加を熱望しましたが、中にはスケジュールの都合やその他の理由で参加を辞退した大物アーティストもいました。例えば、プリンスはスケジュールの都合で参加できず、彼の代わりにヒューイ・ルイスがソロパートを歌うことになりました。
また、コメディ俳優としても知られるエディ・マーフィも、当時シンガーとして活動していましたが、別の仕事があったため参加を断ったとされています。
これらのエピソードは、このプロジェクトがいかに当時の音楽界にとって大きな意味を持つものであったか、そして多くのアーティストが参加に意欲を示していたことを物語っています。
ウィーアーザワールドがもたらした世界への影響と収益

「ウィー・アー・ザ・ワールド」は、単なるチャリティソングとしてだけでなく、音楽史に残る社会現象を巻き起こしました。その影響は、楽曲の売上や寄付金の額にとどまらず、世界中の人々の意識に深く刻まれ、音楽が持つ社会貢献の可能性を大きく広げました。
この曲は、アフリカの飢餓問題への関心を高め、多くの人々がチャリティ活動に参加するきっかけとなりました。また、音楽を通じて国境や文化を超えた連帯感を生み出し、世界が一つになることの重要性を強く訴えかけました。
記録的な売上と莫大な寄付金
「ウィー・アー・ザ・ワールド」は、1985年3月28日にリリースされると、瞬く間に世界中で大ヒットを記録しました。アメリカ国内だけでシングル800万枚以上、全世界では2000万枚以上の売上を記録し、ビルボード誌では4週連続で1位を獲得しました。
シングル、アルバム、ビデオの合計で、6300万ドル(当時の日本円で約150億円)以上の収入となり、そのすべての印税がアフリカの飢餓と貧困層解消のためのチャリティとして寄付されました。
この莫大な寄付金は、エチオピア、スーダン、その他の貧困国に分配され、食料、医療品、開発支援などに活用され、多くの人々の命を救い、生活を改善することに貢献しました。
音楽が持つ社会貢献の力
「ウィー・アー・ザ・ワールド」の成功は、音楽が持つ社会貢献の大きな可能性を世界に示しました。この曲は、単にエンターテインメントとして消費されるだけでなく、社会問題に対する意識を高め、具体的な行動を促す強力なツールとなり得ることを証明したのです。
このプロジェクトをきっかけに、多くのアーティストや著名人がチャリティ活動に積極的に参加するようになり、音楽を通じた社会貢献の動きが世界中に広がりました。
「We Are The World」は、音楽の力で世界を変えられるという希望を人々に与え、その後のチャリティソングやイベントに大きな影響を与え続けました。
「ウィーアーザワールドの呪い」とは?
「ウィー・アー・ザ・ワールド」の成功は、一方で「ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い」と呼ばれる現象も生み出しました。これは、参加した一部のアーティストが、この曲があまりにも大きな金字塔を打ち立てたために、その後自身のキャリアでそれを乗り越えることができなかったという説です。
実際に、スティーヴィー・ワンダー、ビリー・ジョエル、ライオネル・リッチーなど、多くのビッグネームが「ウィー・アー・ザ・ワールド」参加後、以前ほどのヒット曲を出せなくなったという指摘があります。
しかし、この「呪い」は、楽曲の持つ影響力の大きさを逆説的に示すものであり、それだけ「ウィー・アー・ザ・ワールド」がアーティストのキャリアにおいても特別な存在であったことを物語っています。
25年の時を経て再び集結!ウィーアーザワールド25フォーハイチ

2010年1月12日、ハイチでマグニチュード7.0の大地震が発生し、甚大な被害をもたらしました。この悲劇に対し、再び音楽の力で支援を届けようと、オリジナルの「ウィー・アー・ザ・ワールド」から25周年を迎える年に、「We Are The World 25 For Haiti」として再レコーディングが行われました。
このプロジェクトも、クインシー・ジョーンズとライオネル・リッチーがエグゼクティブプロデューサーを務め、新たな世代のアーティストたちを巻き込み、ハイチ復興のための支援を呼びかけました。
ハイチ地震支援のための再レコーディング
「We Are The World 25 For Haiti」のレコーディングは、2010年2月1日、オリジナルと同じロサンゼルスのスタジオで行われました。
グラミー賞授賞式のためにロサンゼルスに集まっていた多くのアーティストが参加し、オリジナル版と同様に、ハイチの被災者支援という明確な目的のもと、心を一つにして歌声を響かせました。
この再レコーディングは、音楽が持つ普遍的なメッセージと、世代を超えて受け継がれるチャリティ精神を改めて世界に示しました。
新たな世代のアーティストたちの参加
「We Are The World 25 For Haiti」には、セリーヌ・ディオン、ジェニファー・ハドソン、カルロス・サンタナ、レディー・ガガ、エミネム、ジャスティン・ビーバー、アッシャー、リル・ウェインなど、当時の人気アーティストやヒップホップ界のスターたちが多数参加しました。
オリジナル版の感動を受け継ぎつつ、新たなアレンジやラップパートが加えられ、現代の音楽シーンを反映した楽曲となりました。
このプロジェクトは、音楽のバトンが次世代へと受け継がれ、困難に直面する人々への支援の輪が広がり続けることを象徴しています。
よくある質問

- ウィーアーザワールドの作詞作曲は誰ですか?
- ウィーアーザワールドの目的は何ですか?
- ウィーアーザワールドには何人の歌手が参加しましたか?
- 2010年版「We Are The World」には誰が参加しましたか?
- 「We Are The World」の収益はどこに寄付されましたか?
ウィーアーザワールドの作詞作曲は誰ですか?
「ウィー・アー・ザ・ワールド」の作詞・作曲は、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共同で行いました。
ウィーアーザワールドの目的は何ですか?
「ウィー・アー・ザ・ワールド」は、1980年代半ばに深刻化したアフリカの飢餓と貧困を解消することを目的として制作されたチャリティソングです。
ウィーアーザワールドには何人の歌手が参加しましたか?
オリジナルの「ウィー・アー・ザ・ワールド」には、リードボーカルとコーラスを合わせて総勢45人の著名な歌手が参加しました。
2010年版「We Are The World」には誰が参加しましたか?
2010年版「We Are The World 25 For Haiti」には、セリーヌ・ディオン、ジェニファー・ハドソン、レディー・ガガ、エミネム、ジャスティン・ビーバーなど、80人以上の新たな世代のアーティストが参加しました。
「We Are The World」の収益はどこに寄付されましたか?
「We Are The World」の収益は、アフリカの飢餓と貧困層解消のためのチャリティとして、エチオピア、スーダン、その他の貧困国に分配され、食料、医療品、開発支援などに活用されました。
まとめ

- 「ウィー・アー・ザ・ワールド」は1985年にUSA for Africaによって制作されたチャリティソングです。
- アフリカの飢餓と貧困を救うという崇高な目的のために生まれました。
- 作詞・作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが担当しました。
- プロデュースは音楽界の巨匠クインシー・ジョーンズが手掛けました。
- 総勢45人のトップアーティストがレコーディングに参加しました。
- リードボーカルは21人の主要アーティストが務めました。
- レコーディングはアメリカン・ミュージック・アワード授賞式直後に行われました。
- クインシー・ジョーンズは「エゴは入口に置いていってくれ」と呼びかけました。
- 参加アーティストたちはエゴを捨てて一つになり、感動的な一夜を過ごしました。
- プリンスやエディ・マーフィなど、参加を辞退した大物アーティストもいました。
- 全世界で2000万枚以上のシングルを売り上げ、大ヒットを記録しました。
- 6300万ドル以上の収益がアフリカの飢餓救済に寄付されました。
- 音楽が社会貢献の大きな可能性を持つことを世界に示しました。
- 一部アーティストには「ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い」という説もあります。
- 2010年にはハイチ地震支援のため「We Are The World 25 For Haiti」が再レコーディングされました。
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