右近の桜と左近の橘の意味とは?由来や配置、雛人形との関係を徹底解説

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右近の桜と左近の橘の意味とは?由来や配置、雛人形との関係を徹底解説
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京都御所の紫宸殿に佇む「右近の橘、左近の桜」。この言葉を聞いたことはあっても、その正確な意味や背景までご存じない方もいらっしゃるのではないでしょうか。本記事では、この歴史ある植物の配置が持つ深い意味や、なぜ桜が梅に代わったのかという興味深い由来、そして私たちに身近な雛人形との関係まで、分かりやすく解説します。

目次

右近の桜左近の橘とは?その基本的な意味を解説

右近の桜左近の橘とは?その基本的な意味を解説

「右近の桜、左近の橘」とは、京都御所の中心にある紫宸殿(ししんでん)の南庭に植えられた二つの植物を指す言葉です。この配置は、日本の歴史や文化に深く根ざしており、多くの儀式や行事において重要な役割を果たしてきました。それぞれの植物が持つ意味や、なぜこの名称で呼ばれるようになったのかを知ることで、日本の伝統に対する理解がさらに深まることでしょう。

天皇から見た「左」と「右」の配置

「右近の桜、左近の橘」という名称は、天皇が紫宸殿の玉座(ぎょざ)に座られた際、天皇から見て「左」に桜、「右」に橘が配置されていることに由来します。つまり、私たちが見学する際に紫宸殿の正面から向かって右側にあるのが「左近の桜」、左側にあるのが「右近の橘」となるのです。この左右の認識の違いは、日本の伝統的な「左上位」の考え方に基づいています。

天皇を中心とした視点で左右が定められているため、訪れる際はその視点を意識すると、より深く歴史を感じられるでしょう。

「左近」「右近」の名称が生まれた背景

「左近の桜」「右近の橘」という名称は、平安時代に宮中の警護を担っていた官職「左近衛府(さこんえふ)」と「右近衛府(うこんえふ)」に由来しています。紫宸殿で儀式が執り行われる際、天皇の左側(東側)に左近衛府の武官が、右側(西側)に右近衛府の武官がそれぞれ警護の陣を敷きました。このとき、左近衛府の陣頭近くに桜が、右近衛府の陣頭近くに橘が植えられていたことから、それぞれの植物が「左近の桜」「右近の橘」と呼ばれるようになったのです。

警護の配置がそのまま植物の名前になったという背景を知ると、当時の宮中の様子が目に浮かぶようです。


左近の桜が「梅」から「桜」に変わった歴史的経緯

左近の桜が「梅」から「桜」に変わった歴史的経緯

現在、紫宸殿の左側には桜が植えられていますが、実は平安遷都当初は桜ではなく梅が植えられていました。なぜ、日本の象徴ともいえる桜が、後からこの場所に植えられることになったのでしょうか。そこには、大規模な火災と、当時の文化的な変化が深く関わっています。この歴史的な経緯を知ることで、「左近の桜」が持つ意味合いがより一層深まることでしょう。

平安遷都当初は「左近の梅」だった事実

平安京に都が移された当初、紫宸殿の庭には「左近の梅」と「右近の橘」が一対となって植えられていました。梅と橘は、ともに中国から伝えられた植物であり、早春に美しい花を咲かせることから「春を告げるシンボル」として重宝されていたのです。また、どちらも実を結ぶことから「実りをもたらす木」としても大切にされていました。

当時の日本では、中国文化の影響が色濃く、万葉集でも梅が多く詠まれるなど、梅は花の中でも特に格の高い存在として認識されていたことが分かります。

紫宸殿の火災と桜への植え替え

「左近の梅」が「左近の桜」に変わる決定的な出来事は、天徳四年(960年)に発生した紫宸殿の大規模な火災でした。この火災により紫宸殿は焼失し、庭に植えられていた梅と橘も失われてしまいます。その後、紫宸殿が再建される際、左近の梅の代わりに植えられたのが桜でした。一説には、重明親王(しげあきらしんのう)の邸宅にあった桜が移植されたと伝えられています。

この出来事を境に、左近の梅は左近の桜へとその姿を変え、現在に至るまで受け継がれているのです。

梅から桜への文化的な変化

梅から桜への植え替えは、単なる植物の変更に留まらず、当時の日本文化の大きな変化を象徴するものでした。平安時代中期以降、遣唐使の廃止などを経て、日本は中国文化の影響から脱却し、独自の国風文化が花開く時代を迎えます。この時期に、それまで中国の国花であった梅に代わり、日本固有の桜が日本の「花」として認識されるようになりました。

古今和歌集では桜が梅を上回る歌数で詠まれるなど、桜が日本の美意識の中心を占めるようになったことが分かります。紫宸殿の梅から桜への変化は、まさにこの文化的な転換期を象徴する出来事だったと言えるでしょう。

右近の橘に込められた意味と象徴

右近の橘に込められた意味と象徴

紫宸殿の右側に植えられている橘は、古くから特別な意味を持つ植物として大切にされてきました。その常緑の葉と、実を結ぶ姿は、日本人にとって様々な願いや象徴と結びついています。ここでは、橘が持つ深い意味合いと、それがどのように日本の文化に影響を与えてきたのかを詳しく見ていきましょう。

不老不死の理想郷「常世の国」と橘

橘は、古事記や日本書紀といった日本の古典に登場する「常世の国(とこよのくに)」と深く関連付けられています。常世の国とは、海の彼方にあるとされる不老不死の理想郷であり、そこに自生する「トキジクノカクノコノミ(非時香実)」が橘であると伝えられています。この伝説から、橘は永遠の命や不老不死の象徴として尊ばれるようになりました。

その葉が一年中緑を保ち、枯れることがない常緑樹であることも、この思想を裏付けるものとして考えられています。

橘が持つ繁栄と長寿の象徴

橘は、その常緑の性質から、一年を通して葉が茂り続けることから「繁栄」や「長寿」の象徴とされています。また、美しい花を咲かせた後に実を結ぶ姿は、子孫繁栄や家系の継続といった願いにも通じます。平安時代以降、橘は貴族の庭園に植えられ、その高貴な香りと姿は多くの歌に詠まれました。家紋にも橘が用いられることが多く、その縁起の良さから現代でも様々な場面で尊ばれているのです。

左近の桜に込められた意味と象徴

左近の桜に込められた意味と象徴

日本の春を彩る桜は、単に美しい花というだけでなく、日本人の心に深く根ざした特別な意味を持っています。紫宸殿の左側に植えられた「左近の桜」もまた、その象徴的な意味合いを強く帯びています。ここでは、桜が日本の文化においてどのような役割を果たし、どのような願いが込められているのかを探ります。

日本の国花としての桜の役割

桜は、その美しさと儚さから、古くから日本人の精神性と結びつけられてきました。平安時代以降、梅に代わって日本の「花」の代表となり、国花として広く愛されています。桜が持つ「散り際」の美しさは、武士道の精神や潔さと重ね合わせられ、また、春の訪れとともに一斉に咲き誇り、短い期間で散っていく姿は、人生の無常観や再生の象徴とも捉えられてきました。

左近の桜は、まさに日本の美意識と精神性を体現する存在と言えるでしょう。

桜が持つ清らかさと美しさの象徴

桜は、その淡い色合いと優雅な姿から、清らかさや純粋さの象徴とされています。特に、満開の桜並木は、見る者の心を和ませ、希望や新たな始まりを感じさせます。左近の桜は、宮中の重要な儀式が行われる紫宸殿の庭に植えられていることから、国家の安寧や繁栄を願う象徴としての意味も持ち合わせています。

その美しさは、時代を超えて多くの人々に愛され、日本の風景に欠かせない存在となっています。

雛人形に飾られる右近の橘左近の桜の理由

雛人形に飾られる右近の橘左近の桜の理由

ひな祭りの時期になると、雛壇に飾られる雛人形の脇に、桜と橘が配置されているのを目にする方も多いでしょう。この桜と橘もまた、京都御所の紫宸殿に由来するものです。雛人形は、平安時代の宮中を模して作られており、その飾り付け一つ一つに深い意味が込められています。ここでは、雛人形と「右近の橘、左近の桜」の関係について解説します。

御所を模した雛飾りの伝統

雛人形は、平安時代の宮中における天皇や皇后、そして貴族たちの生活を再現したものです。特に、お内裏様とお雛様が座る段は、京都御所の紫宸殿を模しており、その前庭に植えられた「右近の橘、左近の桜」も忠実に再現されています。これは、雛人形が単なる飾り物ではなく、宮中の雅な世界観や伝統を伝える役割を担っていることを示しています。

雛飾りの桜と橘は、子供たちの健やかな成長と幸福を願う親の気持ちが込められた、縁起の良い飾りなのです。

現代の雛人形における配置の注意点

現代の雛人形では、飾り方によって桜と橘の配置が異なる場合があります。一般的には、お内裏様から見て左に桜、右に橘が正しい配置とされていますが、これは天皇の視点に基づいています。しかし、飾る人から見て右に桜、左に橘と配置されることもあります。これは、明治時代以降に西洋の文化が取り入れられ、国際儀礼に倣って男性が女性の右に立つようになった影響とも言われています。

どちらの配置も間違いではありませんが、伝統的な意味合いを重視するならば、天皇の視点に合わせた配置が望ましいでしょう。

よくある質問

よくある質問

右近の桜と左近の橘はどちらが右でどちらが左ですか?

天皇が紫宸殿の玉座に座られた際、天皇から見て「左」に桜、「右」に橘が配置されています。したがって、私たちが見学する際に紫宸殿の正面から向かって右側にあるのが「左近の桜」、左側にあるのが「右近の橘」となります。

なぜ左近の桜はもともと梅だったのですか?

平安遷都当初、紫宸殿の庭には「左近の梅」と「右近の橘」が植えられていました。梅は中国から伝来し、当時、花の中でも特に格の高い存在として重宝されていたためです。しかし、天徳四年(960年)の紫宸殿の火災で梅が焼失した後、桜が植え替えられ、「左近の桜」となりました。

右近の橘はなぜ不老不死の象徴なのですか?

橘は、古事記に登場する不老不死の理想郷「常世の国」に自生する「トキジクノカクノコノミ(非時香実)」であると伝えられています。また、一年中葉が緑を保つ常緑樹であることから、永遠の命や繁栄、長寿の象徴として尊ばれるようになりました。

雛人形の桜と橘はなぜ飾られるのですか?

雛人形は、平安時代の宮中を模した飾りであり、お内裏様とお雛様が座る段は京都御所の紫宸殿を再現しています。紫宸殿の前庭に植えられた「右近の橘、左近の桜」も、その伝統に倣って雛飾りに取り入れられました。子供たちの健やかな成長と幸福を願う意味が込められています。

右近の桜左近の橘の読み方を教えてください。

「右近の桜 左近の橘」は、「うこんのさくら さこんのたちばな」と読みます。ただし、一般的には「左近の桜 右近の橘(さこんのさくら うこんのたちばな)」という順で呼ばれることが多いです。

京都御所では現在も右近の橘と左近の桜を見られますか?

はい、現在も京都御所の紫宸殿の南庭には「右近の橘」と「左近の桜」が植えられており、見学することが可能です。平安時代から何度も植え替えられてきましたが、その伝統は現代まで受け継がれています。

まとめ

  • 「右近の桜左近の橘」は京都御所紫宸殿の庭にある植物の配置を指す。
  • 天皇の玉座から見て左に桜、右に橘が配置されている。
  • 「左近」「右近」の名称は宮中の警護官職に由来する。
  • 平安遷都当初は「左近の梅」と「右近の橘」だった。
  • 天徳四年(960年)の紫宸殿火災により梅が焼失した。
  • 再建時に梅の代わりに桜が植えられ「左近の桜」となった。
  • 梅から桜への変化は国風文化の隆盛を象徴する。
  • 橘は常緑樹であり、不老不死や繁栄、長寿の象徴である。
  • 桜は日本の国花であり、清らかさや美しさ、儚さを象徴する。
  • 雛人形の桜と橘は、御所を模した伝統的な飾りである。
  • 雛飾りの配置は、天皇視点と鑑賞者視点で左右が異なる場合がある。
  • 橘は古事記の「常世の国」の「トキジクノカクノコノミ」と関連付けられる。
  • 桜の散り際は武士道や人生の無常観と結びつく。
  • 京都御所では現在もこの配置を見学できる。
  • それぞれの植物が日本の歴史と文化に深く根ざしている。
  • この配置は子供たちの健やかな成長と幸福を願う意味も持つ。
右近の桜と左近の橘の意味とは?由来や配置、雛人形との関係を徹底解説

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